日記を探せ?
お前は何者だ?
望まれて生まれてきた?
そんなはずはない。
俺は決して望まれた子供なんかじゃなかったはずだ。
熱いシャワーを頭からかぶるとやっと意識がはっきりしてきた。
そうか、全部夢だったんだ。
気にすることはない。
今日はやらなければならない事が山というほどある。
学会まで、あと1ヵ月。
出来ていない資料が多すぎる。
今のままでは説得力なんてゼロに乏しい。何しろ、発表する相手は現役の大学病院の先生様方だ。少しでも変な説明をしたら、筋が通っていなかったら槍玉に上がるのは間違いない。
バスルームから出て、髪を乾かしている間にトーストを焼く。
大丈夫、いつもと変わらない朝だ。
カーテンを開けると空は明るく、雲ひとつ浮かんでいない。
焼きあがったトーストを齧ると、さくっと小気味良い音をたてた。
俺は、生きている。
いつものように朝を向かえ、いつものように玄関をでる。バイクに跨りエンジンを掛けると少しぐずついてスタートした。こいつのエンジンオイルもそろそろ変えてやらなきゃな・・・。
少しずつ速度を上げる。風のすき間を通り抜け、大学の駐輪場にバイクを止める。ここから研究室までは距離がある為、いつもは隣接している大学病院の駐輪場に止めているが、今日はなんとなく歩きたいと思った。病院という人の生き死ににかかわる場所という負のイメージを隠すためか、周辺には多くの植物が植わっていて、つくられた自然だが歩くと気持ちがいい。
途中何人かの患者や看護師とすれ違い、研究室にたどり着いた。
「おはようございます」
部屋の中では、楓女史がパソコンの前で眠りに落ちていた。きっと資料の整理をしながら限界を迎えたのだろう。サトルはそっと毛布を掛けてやるとデータを消さないよう保存して、パソコンの電源を切った。荷物を置き、白衣を羽織ると彼女を起こさないようそっと部屋を出て行き、図書館へ向かった。
 北の端に位置する図書館は、心なしか研究室棟よりもひんやりとしている。すっかり顔なじみになった司書と会釈を交わすと、司書室の裏にある地下書庫専用のエレベーターに乗り込んだ。
 本来ならば、事前に申請した上で、図書館職員同伴でないと入れない場所であるが、サトルの場合には特別にそれが免除されていた。
 「ちょっと待ちなさい」
 丁度閉ボタンを押そうと指を掛けたとき、低い、威厳に溢れた声がサトルを制止した。
 「久しぶりだな」
言いながら乗り込んできた。
「ちょうど良かった、サトル、お前に話があったんだ」
威圧するような口調は昔から変わらない。
「・・・父さん」
2人を乗せた箱は、その空気の重さに耐えかねるように下へと滑り落ちていった。
「僕は話したくありません」
「またそんなことを。ここへ自由に出入りできるよう取り計らってやったのは誰だ?」
「あなたこそ、こんなところで油を売ってる暇などないのでは?」
「私の質問に答えないか」
「そうやっていつもいつも、追い詰めるんですね」
チン、と軽い音がしてエレベーターの扉が開いた。
何とかこの父親から逃げなければ。
そんな思いがサトルの心の中で渦をまいていた。
「お前が人の話に耳を貸さないからだろう、だから追い詰められたと感じるんだ。違うか?」
「本当の父親じゃないのに、父親面しないでください」
履き捨てるように言った言葉が、地下に響いた。
「・・・少しでも期待していた私が馬鹿だったのか」
「・・・はなっから期待なんてしていないくせに」
二人分の足音が地下書庫にこだまする。
「サトル」
空気が張り詰めた。
「ひとつだけ忠告しておこう」
「時間の無駄だと思いますが」
「無駄で結構。いまのままでは何も変わらない。お前はもうすこし、自分の人生に対して興味をもつことだ」
「何をいまさら。自分の人生?そんなもの、あなたがレールを敷いたんだ。それに興味をもてと?」
振り返って父を見つめる。
「都合のいいことを言うのはもう止めにしませんか。あなたはあなたの思ったとおりに僕を動かしたいだけだ。そして、僕はそのとおりに動いている。それで満足でしょう」
父は小さくため息をついて背を向けた。
「やはり、買いかぶりだったのか」
「失望だろうがなんだろうが、勝手にすればいい」
吐き捨てるように言ったその言葉に反応はなく、父はそのまま地下書庫を出て行った。
「・・・くそッ・・・」
何をしに来たのか、それすらすでに頭からは消えていた。
いまだに縛られている自分が惨めで、情けなくて、なによりも許せなかった。



-------------------------------------------------------------
<<3  >>5