ぽっかりと穴の開いたような広い部屋だった。
秋の入りのこの季節。刳り貫いただけの窓からひやりとした風が入って身体にまとわりつく熱気を混ぜてゆく。 

部屋の主はこの国の頂点に立つ男だった。彼は前々から考えていた事を、仕事のために部屋へ入って来た青年に話して聞かせた。青年はそれに眉を寄せる。彼が出した提案とも命令ともつかぬ言葉は、青年が守るものの立場を危うくさせる可能性があったからだ。そして彼が考えずにそれを言っているとも思えなかった。

青年はそれはとても丁寧な言葉で、その旨を伝えた。今度は彼がその黒い眉を寄せる番であった。幼い頃はあんなに砕けた話し方をしていたのに、歳を重ねる度に青年は丁寧な言葉を使うようになっていった。彼はそれが気に入らない。何度か直そうと試みたが、青年は示しがつかないと言って拒否する一方である。
しかし今はその話をしている場合ではなかった。人払いをさせているが、誰が聴いているやも知れぬ。彼は話を進めた。

近頃、紅霞への求婚の書簡が増える一方だ。
彼は言う。
紅霞と言うのは彼の愛娘の名だ。つまり、この国の公主である。


公主もそのようなお年頃でありますから。
青年はさも当然のように返した。現に彼女は、普通の公主ならば既にどこかへ嫁いでいても可笑しくない年齢であった。


影貼。一段低く、彼が青年を呼ぶ。その声色の意味するところを悟って、青年は一言、嫌です。と返した。

彼はその返答に顔を歪めて再度青年を呼んだ。ぐうと青年が言葉に詰まる。それを見て彼は、つまらぬ男に育ってしまった。となんとも言えぬ声で言った。青年は彼の下で育ったようなものであったから、彼は自分の教育が悪かったのだろうかと少し本気で考えそうになった。

しかし難しい身の上のこの青年が、その歳の半分以上を自分の下で過ごした事を考慮すれば随分と真っ直ぐに育ってくれたのではないか、と思い直す。青年が彼に見破られぬほど遥に狡猾でなければの話だが。

青年は黙ってしまった彼を身じろぎ一つせず見ていたが、やがて諦めたように言った。どこの国に公主と家臣を一緒にさせる皇帝がいるっていうんですか。それは殆どため息とともに出たような言葉であった。

血筋的にはお前だって嫡子なのだから問題なかろう。幾分砕けた青年の言葉に、考えから浮上した彼は満足したように返す。


実はその血筋が一番の問題であったが、彼にとっては西の果てにあるという赤い砂漠の細やかな砂の一粒ほどのものにすらならなかった。何故なら彼は知っているからだ。お前に紅霞は殺せないだろう。そしてお前は椅子に座ることを欲してはいない。だからお前に言うのだと、まるで歌うような機嫌の良さを滲ませた声で彼は言う。

それは本当の事であったので、当の青年は何も言えなかった。黙っていると、ああそうだと彼が言葉を続ける。

僧正殿もそれは良い考えだと賛同してくださったことだし。

止めであった。

僧正というのは、平たく言ってしまえばこの国の第二位に位置する人物である。
その彼が応と言ったという。いやしかし、何故こうも大事な事が自分の知らないところで進んでしまっているのか。自分は家臣なのだから最初から拒否権など無いと言うことか拒否する理由も無いが。青年はしばし混乱した頭でそんな事を考えていた


あれも敵が多い。

彼がぽとり落とすように言った。お前には最初から苦労をかけてばかりだ。と、囁くように続けられたその言葉に、青年は視線を彼に戻す。そう思うのでしたら、もうしばらくそこで目を光らせておいて頂きたい。自分にはまだ見えない所が多すぎると、そう言った青年の言葉は丁寧なものに戻っていた。

青年の言葉に、彼は当たり前だと言ってその身を椅子の背にもたれさせる。

現に今紅霞の後ろ盾が無くなる事は危険であったし、今しなければいけない事も、彼にしかできぬ事も沢山あった。

それで、どうだ。

あとはお前が認めるだけだと、彼は言う。それと同時に、しばししじまが落ちた。長いような短いような沈黙であった。


外でざわりと風が木々を撫ぜていった音の後に、青年はゆるりと頭を下げる。


陛下の仰せのままに。


静かな声だった。