「お疲れ様、と言いたいとこだけど、いいかげんここを避難所にするのはやめて欲しいね」
と、苦虫を噛み潰したような顔を向けているのが、この病院の主である王崇洪ワンスウホン。医者という職業についているらいるらしいものの、彼が白衣を着ている姿をみたことはまだない。
握っていたはずのマスターの右手はいつの間にか俺の左手を離れ、今はその肩に着くくらいの長さの髪を無造作に掻き揚げていた。
「うるさいよ崇洪、あたしだってこんな辛気臭いトコしたくて避難所にしてるわけじゃない」
「じゃあ、違うところに避難すればいいじゃない。そのまま本拠地ホームに返してもらうとか行くトコはあるんだろ?」
そう言って王さんは体の向きを机の方へ向けなおした。
「あいつがそんなこっちのリクエストを聞いてくれるほど優しいのなら、この世界はもっと平和だ」
患者用のいすに腰掛けると、彼女はさらにまくし立てた。
「そもそも、こっちが頼まれてるほうなのになんでこんなあっち本位の契約になってんだよ、納得がいかない。それにあたしらの仕事振りを見たいとか言ってその仕事を一番邪魔してるのあいつだし、何考えてんのかさっぱりわかんない。今日はうまくいったからいいけど、実際あいつのせいで失敗したことだってあるんだ、蓋を開けてびっくり、中身はあいつが移動させてました、なんてことがしょっちゅう。もういっそのこと泥棒廃業してやろうかなって思うくらいに、あいつ邪魔!」
そう叫んで大きく息を吐き出すと、座ったままこっちを向いて、落ち着かないからお前もそこに座れ、と顎で診察用のベッドを指した。
「君も大変だね、こんな女王様が主人(マスター)じゃ大変だろう。どう、ウチで助手として働かない?」
「ふざけんな、L−LBはあたしのだ。それにお前には瑞麗がいるだろ」
マスターが不機嫌そうに崇洪の無理な勧誘に応じた。
「とっても有能だけれど力仕事には向かないからね」
「んなもん、てめぇがやれ」
そんな、平和でほほえましいやり取りをしていたのもわずかで、そうそう、と王さんが俺たちの仕事へと話題を転じた。
「今日は君たちは何を盗ってきたんだい?泪がすごくご機嫌だから、よほどいいものなんだろう」
背中をそらせた王さんの体重を受け、椅子がキィと鳴いた。
「はっ、よっく言うよ、わかってるくせに。情報持ってきたのあんただろ?」
「そんな昔のこと覚えちゃいないね。でも、うまくいったんならよかったじゃない。麗一郎君がいなくても何とかなったみたいだし」そう言って王さんは目を細めて意地悪く微笑んだ。いやな名前が出てきた。
「麗一郎は関係ない!」
「何でそこで麗一郎が出てくるんだ」
「何をそんなに怒ることがあるの?あ、もしかして麗一郎君の話題が気に入らなかった?」
にんまり笑いながら王さんが言う。なぜこの人はマスターを興奮させるようなことばかり言うんだろう。彼のことは嫌いではなかったが、マスターを挑発するのはほどほどにしてほしい。
「麗一郎のことは口にするなって、」
「言ったかもしれないね」
王さんが言葉を次いだ。いけしゃあしゃあと何を言ってるんだこの医者は。「でもいつまでもこのままというわけにはいかないだろう?」
「煩いロリコン」
「ははっ、そこを突かれると流石に痛いけどね」
「突かれたくないなら黙れ」
むすっとしたままそっぽを向いてしまった。王さんは動じていない。医者というものは何があってもあわてないのだろうか、なんて考えてしまう。医者にはなれないな、と思った。
マスターと彼の歴史ほど、複雑でややこしいものはないと思う。そう、どんな警備しシステムだってある一定の法則に基づいて考えると至ってシンプルなものだ。それを実行する機械だって法則に反することなど―――バグでもない限り―――ないだろう。すべてを把握しているわけでは勿論ないが、俺にとって彼らの生い立ちは十分すぎるほど複雑で、そうであればあるほどそれを知りたいいう欲望は強くなっていく。
欲望……?
アンドロイドにそんなものが必要なのだろうか。
きっと、要らない。
心の深いところに、
心なんて、アンドロイドには、必要ない。
検索不可のところへ、情報を、しまう。
ゴミ箱は空に。


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