何が大切かなんて、わからない。しかし俺の知らないところで、確実に何かが変化した。変化するものは放っておいたって変化してしまうし、不変なものは不変のまま残っている。けれど、どちらにしたって、俺の知らない時間がそこに存在していたことは間違いがない。それを悲しいと、寂しいと思うなんて、どうかしている。



外は溶けそうな暑さなのに、この建物の中は空調がしっかりと整備されていて涼しかった。コツンコツンと二人分の足音を派手に鳴らしながら、細い廊下を駆けぬけた。まるで泥棒のように。言葉の矛盾に気付きおかしくなる。なにが「まるで泥棒」だ。
「なにニヤニヤしてんだ、気持ち悪い」
「いや、別に。静か過ぎてなんだか不気味ですね」
見られていたのか。少し恥ずかしくなって慌てて話題を反らす。
「不気味なとこでニヤけるのが趣味なのか、お前は」
「いえ、そういうわけじゃなくて・・・」
「冗談を真面目に返すなよ」おかしそうに笑いながら俺の前を疾走する彼女はスピードを緩め、銃を構えた。
「だからお前は射撃が下手糞なんだ、よっ」
語尾にかぶさるように引き金をひくと、消音装置に音を消された銃が弾を吐き出し、数メートル先にある部屋の鍵に命中した。
「さすがですね」
言いながら俺は壊れた鍵の残骸を摘み上げ、ドアに遺っていた金属を思い切り引き剥がした。バキン・と鈍い音がして、もはやその機能の半分以上を失ったそれは西部劇に出てくるバーのドアのように頼りなさ気に揺れていた。
「当たり前のことをいちいち言うな。それより早くすませないと奴らがそろそろ動き出す。警備システムを誤魔化してられるのも、あの程度のスクリプトじゃせいぜい二十分が限界だろ。消える準備しとけ」
「了解」
携帯電話をズボンのポケットから取り出すと、必要事項を本文に入力し、いつものようにメールを送った。すぐに、手はずは整っている、という返事が返ってきて俺たちの身の安全が約束される。
それにすべてを委ねている訳ではないが、利用する頻度はわりと高いだろう。何せこの世で一番安全な移動方法なのだから。
指定した時間を確かめてから携帯電話を二つに折りたたみ再びズボンのポケットへとしまいこんで、周りを見渡した。もう二十分後にはすべての事が終わり、この部屋には何も遺されていないのだろう。(もちろん一般的に価値のあるものと、俺たちが居たという証拠となるものの二つに限定される)
部屋の中には会議室などでよく見かける長い机が二つと、それに合わせてすわり心地の悪そうなパイプ椅子が六脚置いてあるだけだった。窓のない壁は古いせいなのか、それともタバコの脂とかそういうもののせいなのか、うっすらと黄土色に変色し、絵画どころか掛け時計すら飾られていない。ところどころ壁紙が破け、白い壁材が顕わになっていた。彼女はそれらのインテリアには目も触れず、壁のいたるところを軽く叩き出した。
「なんだか、寒々しい部屋ですね。こんなところに隠し金庫なんて本当にあるんですか?」
「ある。何のためにこれ、窓がないんだ」
「え、地下だからでしょう?」
「違う。この程度の地下なら、半地下にして窓を造るはず。天井が異常に低いだろ、せいぜい三メートル・・・十、くらいか」見上げながらも壁を叩く手は休めない。
「で、さっきから壁叩いて何やってるんですか?」
「何・ってきまってんじゃねぇか。隠し金庫探してんだよ」
そういいながら、彼女は何かに気付いたらしく、手を止め壁に耳をぴったりとつける。しっ、と人差し指口の前に立て「静かにしろ」というジェスチャーをしてみせた。そして、その体勢のまままた壁を三回叩いた。口元がきゅっとあがり、たちまち不敵な表情になる。
「見つけた」
腰に提げた三連の皮製の小さなカバンから取り出した折りたたみナイフを躊躇いなく壁に突き刺しすばやく引き抜く。
「L−LB、ここに一発いれてみ」
はい、と返事をして小さく亀裂の入ったそこを狙い、思い切り拳を打ちつけた。ベニヤ板を割ったような軽い手ごたえがして、およそ十センチ四方の穴が空く。かなりの衝撃を予想していた俺はいささか拍子抜けしてしまった。
「こんなもんですか?」
「十分」満足そうな表情をしていたので少し安心した。
「ずいぶん脆い壁材つかってるんですね」
「当たり前だ。ほら、ぼさっとしてないでとっととこの壁壊せ」
「了解(ラジャー)」
彼女がなぜ「当たり前」といったのかが理解できなかったが命令は絶対。言われたとおりに穴を広げていくと奥行きが約20センチ、幅と高さがそれぞれ15センチほどのわずかな空間が現れ、その中にカードキーをスライドさせる機構が張り付いているのを発見した。思わず覗き込んでいると不意に背中を叩かれた。
「退いて」
おとなしく場所を空け渡すと、彼女はポケットの中からプラスチック製のカードを取り出しそれを手にした腕を穴の中へ突っ込んだ。やがて「ピピッ」と短い電子音が鳴り響く。
「残り時間は?」
細い腕を穴の中へ入れたまま彼女は尋ねた。携帯のデジタル時計を見て逆算をする。
「二、三分ってトコですね」
「ふーん、まだ少し余裕があるな」
そう言って、彼女は穴の中から小さな青い箱を取り出した。ほとんどが宝石や時計などを入れるために使われる、それだけで高級なんだと主張しているあの箱だ。
「お目当ては見つかったんですか?」答えを知っていて尋ねる。
「もちろん。ほら、コレ見てみろよ」
「ちょっ、投げないでくださいよ」
胸のあたりに飛んできた自己主張の激しい箱をすんでのところで受け止めると、彼女は少し小馬鹿にしたような視線を向けながら、かすかに微笑んでいた。この、仕事を終えた後のほっとした表情が何よりも好きだと思う。
「落とすなよ」
放り投げられたその箱はわずかな重さしか感じられない。本当に中身が入っているのだろうか、と疑ってしまう。まがい物の左手がゆっくりとその蓋を開けた。
「これは・・・?」
宝石と呼ぶにはあまりにも不細工な形の石が鎮座している。まるで、工事現場から採ってきたようないびつさだった。
「今回のお目当て」
こともなげに彼女は答える。どうやら騙されているわけではなさそうだ。
薄くエメラルドグリーンがかかったその石を眺めていると、腰のあたりに小さな振動を感じた。慌てて箱の蓋を閉じ、ポケットから携帯電話を取り出す。
「もうリミット?」
「はい、後20秒です」
画面に表示されたデジタル時計を見ながら、左手を泳がせ、彼女の手を掴んだ。右手の携帯電話からいつもの赤い光が放たれる。感覚のない左手に少しだけ力を入れ、ゆっくりと目を瞑った。重力が消え浮遊する感じ。一瞬間があり、ガクンと膝に負荷がかかる。チカチカと赤の残像が残る目を凝らすと、そこには見慣れた白く四角い診察室の風景があった。



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